【開催報告】タイモン・スクリーチ教授特別講義「江戸政治と美術における『伊勢物語』の「東下り」」

昨日、13時30分から15時まで私が法政大学社会学部で担当させていただいている「比較文化論I」の第12回目の講義において、タイモン・スクリーチ教授(ロンドン大学)をゲスト講師としてお迎えし、特別講義「江戸政治と美術における『伊勢物語』の「東下り」」が行われました。

ゲスト講師による特別講義はこれまでの11回の講義の内容を発展的に取り扱うために各分野の専門家をお招きしてお話を伺うものであり、2015年度の「比較文化論II」でヨーゼフ・クライナー博士(ボン大学)[1]、2016年度のマルコ・ティネッロ博士(ヴェネツィア大学カ・フォスカリ)[2]に続く3回目の試みとなります。

美術史の専門家であるスクリーチ先生は芸術と文化の観点から江戸時代の日本を研究されてきた江戸美術研究の第一人者で、近著であるObtaining Images: Art, Production and Display in Edo Japan (London: Reaktion Books/Honolulu: University of Hawaii Press, 2012)のほか、多数の著書が英語と日本語で刊行されています。

講義では、まず近世以前において平安時代の文学作品は貴族の私的な所有に帰し、広範な人々が接しえないものであり、『源氏物語』や『伊勢物語』などを題材とする謡曲が平安文学を知る重要な手段であったのに対し、江戸時代に入ると京都の嵯峨で町人たちが平安時代の文学作品を出版して嵯峨本と呼ばれる分野が確立され、平安文学がより多くの層に享受されるようになったことが紹介されました。

次に、平安文学の代表的な作品である『伊勢物語』について、江戸時代の人々が主人公であり在原業平と推定されるある男の「東下り」を題材とする伊勢物語屏風や『源氏物語』を対象とする源氏物語屏風が多数作成されたことが説明されました。

そして、『伊勢物語』の「東下り」について、京から武蔵と下総の境の大川まで辿り着く過程に着目し、江戸時代の読者が三河の八橋、駿河の蔦の細道や宇津の山、そして大川など、具体的な場所が不明な土地について、描かれた場所がどこであるかを同定する作業を行ったこと、さらに京を追放されたある男が三河駿河を経て武蔵に至る道のりが、徳川家康三河から起こり武蔵の江戸に幕府を開き、最後に駿府に隠居した事実と符合しており、『伊勢物語』が政治権力の消長を書き記した本としても読まれたことが指摘されました。

最後に、尾形光琳や江戸琳派創始者である酒井抱一らが『伊勢物語』を題材として杜若や八橋、あるいは蔦の細道を好んで描いたこと、あるいは歴代の富士山図の中で最高傑作とされる雪舟の『富士三保清見寺図』が大和絵でなく唐絵で描かれたのに対し、江戸時代になると狩野派大和絵として富士山図を多数残し、狩野養信が大和絵と唐絵を融合させる形で『富士山と蔦の細道』の図を描いたこと、さらに、富士山は京ではなく東国から見えるため、「日本の象徴」ではなく「東国の象徴」であったことが言及されました。

豊富な図像資料を活用し、江戸時代における『伊勢物語』の受容のあり方を実証的に検討されたスクリーチ教授の話に、出席した360名の学生の皆さんは熱心に耳を傾けていました。

公務で多忙な中、充実した講義を行ってくださったスクリーチ教授のご厚情に改めて御礼申し上げます。

[1] 鈴村裕輔, ヨーゼフ・クライナー氏特別講義「ヨーロッパから見た日本と日本文化」. 2016年12月11日, http://researchmap.jp/joye6u44u-18602/.

[2] マルコ・ティネッロ博士特別講義「国際的な視点から見る「琉球処分」」. 2016年7月8日,